群馬県の概要
群馬県は関東地方の北西部に位置しています。県西・県北の県境には山々が連なり、南東部には関東平野が開ける内陸県です。 2000メートル級の山岳、尾瀬などの湿原、多くの湖沼、吾妻峡をはじめとする渓谷や利根の清流など、変化に富む美しい大自然にめぐまれています。また、一世帯あたりの車保有台数が日本一多いことで知られています。
群馬県のあゆみ
群馬県は5世紀には東国随一の勢力を持っていたと言われています。日本の中でも古墳が多く造られた地域の一つで、かつては1万基以上の古墳がありました。また、太田市飯塚町にて埴輪挂甲の武人(はにわけいこうのぶじん)が出土され、国宝に指定されています。
律令制が導入されると、上野国と呼ばれるようになりました。国府の所在地は現在の前橋市元総社町付近であったと推定されています。このあたりには古くから渡来人が多かったようで、8世紀始めに甘楽、緑野、片岡各郡から6郷を割き、多胡郡が成立しました。多胡郡建郡を記念する多胡碑など上野三碑が古代の金石文として知られています。
江戸時代から昭和初期にかけては、桐生織を中心に、絹織物産業が発展しました。養蚕業は原始的ながら複雑な工程を経るため、群馬県(埼玉県北部上武地域を含む)では養蚕業に由来する社会行事が多く残っています。民俗学的に優れた材料の宝庫ともいえ高い評価を得ています。養蚕製糸業は当然製造工学的な技術発展を促しており、これを背景に大正時代には日本最大の飛行機会社となった中島飛行機が設立されました。
第二次世界大戦中には疎開地として多くの民衆・企業を受け入れました。軍需工場が集中する市街地などは米軍による空襲の標的となり、甚大な被害を受けました。戦後は平野部の農業、工業製造業も復活し、娯楽民生に技術を転用した好例として遊技機(パチンコ機パチスロ機)の製造販売が盛んです。
群馬県の名前の由来
県名は、藤原京跡出土の木簡では「車」の一字で表記されていましたが、奈良時代の初めに全国の群や郷の名を二文字の好字で表記する事となり「車(くるま)」を「群馬」と書くようになったことに由来します。
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群馬県立歴史博物館 |
| 住所: |
〒370-1293
群馬県高崎市綿貫町992-1 [地図を見る] |
| 電話番号: |
027-346-5522 |
| 開館時間: |
9:30-17:00(入館は16:30まで) |
| 休館日: |
毎週月曜日 |
| 入館料: |
展示による |
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